古伊万里、伊万里焼、有田焼、違いとか、よくわからなくないですか?
美術館の展示会に行ったら、違いやなぜ伊万里焼の文様が豪華になったのか? 歴史の流れが解説してあったので、紹介します
(ちなみに私は伊万里焼というか、器について初心者です)
伊万里焼について
美術館の解説(キャプション)の抜粋
十七世紀初頭、肥前有田で日本初の磁器が誕生しました。
有田からもっとも近い港、伊万里津から日本各地に積み出されたことから「伊万里焼」と呼ばれ、十七世紀中頃には、中国陶磁の代替品としてヨーロッパへも輸出されるようになりました。
コメント
当時は日本より中国の陶磁の方が、重宝されていたようです
中国の景徳鎮窯(けいとくちんよう)は、窯で今でも有名みたいですね
横浜中華街の麻婆豆腐が人気メニューのお店「景徳鎮」しか、知りませんでした。。

古伊万里、伊万里焼、有田焼の違い
伊万里焼
肥前国(現佐賀県)有田を中心に生産された磁器の総称。
消費地においては伊万里の港から運ばれてくるので「伊万里焼」と呼んだ。
明治以後は有田からの鉄道輸送となったため「有田焼」と通称され、今日では有田の製品を「有田焼」、伊万里市域の製品を「伊万里焼」と呼び分けている。
また、一般的に、その創始から急成長した十七世紀前半までの製品を「初期伊万里」、江戸時代を通じて生産された肥前磁器を「古伊万里」と呼び親しんでいる。
コメント
伊万里焼、有田焼、違いわかってませんでした。。
地図を見ると、伊万里市に有田町がありますね
色絵金彩群鯉鳳凰花文大皿
画像の真ん中下

古伊万里様式 伊万里金襴手(こいまりようしき いまりきんらんで)の解説(キャプション)
時代は元禄(一六八八~一七0四年)。
徳川政権下で経済力をつけた富裕な商人たちが活躍し、上方に町人文化が花ひらく。
豪商たちは金彩を施した豪華な器を求めるようになり、その需要に応えようと、当時のアンティークとしても人気が高かった中国・嘉靖期(一五二二~六六年)の景徳鎮窯製「金襴手」を手本に、伊万里焼が絢爛豪華な作風へと舵をきる。
その成立には酒井田柿右衛門家が中心的な役割を果たしたとされる。
染付と色絵、金泥を併用した華やかな配色を特徴とし、器の見込みと周囲の区割、窓絵と呼ばれる枠で、複数の文様を明確に区画する。
窓絵の中には様々な文様を描き、余白を瓔珞、唐草、七宝、菱繋だどの連続文様で埋める。
こうした文様の構図はのちにも続く伊万里焼の代表的なパターンとなり「古伊万里様式」と呼ばれてる。
染付磁器にもこの様式は採用された。
国内向けには鉢が多く、輸出向けには大壺や大皿・蓋物などが製作されて、色調や文様にも違いが見られる。
コメント
展示品の中では大きく目立ってました
お皿のサイズは直径55cm 高さ9.5cm
まさに大皿ですね
色彩が多く、まさに絢爛豪華な感じでした
感想
伊万里焼、有田焼の違いがわかったり、なんで急に豪華な絵柄の器になったりした経緯がわかり参考になりました
粋な古伊万里の展示会データ
日程
2018年11月23日から1月20日
観覧料
一般 600円、65歳以上300円
美術館データ(住所、定休日、営業時間)
住所 | 東京都八王子市八日町8-1 ビュータワー八王子2F |
閉館日(定休日) | 月曜日(祝日、振替休日の場合は開館し翌平日休館) |
開館時間(営業時間) | 10:00 〜 19:00(入館は午後6時30分まで) |
それでは、また